第3回 『清貧』
私、実は、都内(と言っても、小岩ですけど・・・)にて、一人暮らしをしていた時期がございまして、その当時、カムカムミニキーナという劇団に所属していた(いる?)のですが、都内にて一人暮らしをする役者というのは、98%『貧乏』・・・・いや、『お貧乏』なのでして・・・、残りの2%は、親の仕送りがあったり、何だか良く解らない“闇”っぽいお仕事をしていたりするのですが・・・、私も当然98%の一人だった訳で・・・・(by北の国から)。
色々なアルバイトを致しましたな。
1.コンビニ
2.吉牛
3.何やら工場
4.マルイの裏方
5.様々な日雇い
6.弁当の配達
7.舞台の裏方
8.引越し屋
9.洋服屋
10.魚市場
等々、軽く挙げてもこれだけ出てきます。
貧乏でした・・・、あぁ、貧乏でした・・・。そして、今も貧乏です・・・。
一人暮らしで金が無いと、まず、携帯が止まります。次にガス、電気、水道の順に止まります。(ハイ!!ここテストに出ますから!!二重線ね!!)
水道は、最後なんですね・・・。ほら、あんまり早く止めると、人って死んじゃうからね・・・。ありがたい事です。
でもね、止まっちゃったの・・・、俺の水道。
その当時、ハス向かいに住んでいたのが、現在劇団員の半谷恵津郎だったんですけど、借りまくりましたね・・・。水・・・・アト・・・・ガス・・・。
『ワリィ!!ガス貸して!!水はまだ平気なんだけどさ!!』・・・・切ないですね・・・。
『ごめん!!水貸して!!もうトイレも流せなくてサ!!』・・・・家に居ながらにして、アウトドア気分・・・。
そこに加えて、折から流行していた風邪・・・。上がる熱、下る腹・・・。出て行く水分、出ない水道・・・。
目の前に、『死』が迫って来ましたね。
水が止まっているという事は、当然携帯も止まっている訳で、体も動かず、外界との唯一の接触手段を奪われた私は、
『もう、むしろ、サッサと逝っちゃいたいな・・・。』
ぐらいの気持ちで寝ていましたね。日が昇ると共に目が覚め、日が沈むと寝る。もう気分は『はじめ人間ギャートルズ』です。
思う事は唯一つ、
『あぁ、今日も“エサ”喰えなかったなぁ・・・。』
(涙なんて流さないで下さい・・・・勿体無いから・・・。)
“昭和枯れすすき”です。
“一杯のかけそば”です。
“思いっきりテレビ”です。
“愛の貧乏脱出大作戦”です。
(あっ・・・、鼻水まで・・・。勿体無い・・・・勿体無い・・・。)
“かけそば”と言えば、その頃の僕の主食は、サラリーマン時代の職場から戴いた
『粗品で余った、“軽く期限切れ”の乾麺』
でした。部屋の片隅に、山のような乾麺・・・。あきずにはいられません・・・。色々な手法で食べました・・・。結果、一番旨い喰い方は・・・、
『普通に喰う事』。
皆さん、乾麺は普通に喰って下さい。それが一番。
あと、もう一つ確実に言える事。それは、
『米の砥ぎ汁に醤油を混ぜると凄くマズイ』
ということ。牛乳をかけるよりマズイです。軽く薬品の臭いがしますから。
・・・・・・・・喰いましたけどね・・・・、残さず・・・・。
売りましたね、家具は。唯一残した物は、テレビとビデオ。電気止まってるんだけどね・・・。なんとなくね・・・。
引越し、行きより帰りの方が荷物少ないんですよ。・・・・・全部売っちゃったから・・・。
僕は、今、幸せです。夜、暗くないから・・・。
追記。これでもまだ、都内で一人暮らししながら芝居しようとお考えの方は、御一報ください。別に、止めはしませんけど、まだまだありますから・・・、話は・・・(笑)。
2001年11月 宮崎